発達障害という認識
私は子どもの頃から親や親戚から
『変わり者』と言われ続け。
今思うと、なぜ『発達障害』と疑ってくれなかったのだろうと思う。
しかし私が子どもの頃には今の時代のように『発達障害』という言葉すらなかったように思う。
私、子どもの頃から、人とのコミュニケーションをとるのが『嫌い』。
『苦手』なのではなく『嫌い』。
それが親であってもコミュニケーションをとることが苦痛以外のなにものでもなく。
私のことを『変わり者』扱いするのであれば、病院で診てもらって欲しかったという気持ちが今も強く残っている。
私、診断は受けたことがないけど、おそらく『アスペルガー』だと思う。
とにかく五感が鋭い。
絶対嗅覚、絶対味覚なんて当たり前。
ガソリンのハイオクとレギュラーの匂いも、瞬時に嗅ぎ分けることができる。
音に関しても、車のエンジンのかかる瞬間の音で、どこのメーカーの車、車種まで分かる。
空気なんて読めないし、読まないし(笑)
子どもの頃からこんな感じ。
そして何より、私、多言語を扱うことができる。
日本語・英語・韓国語・中国語・タガログ語・ロシア語などなど。
よく、人からは
『たくさんの言葉で、頭の中がぐちゃぐちゃにならないの?』と聞かれるが、そもそもぐちゃぐちゃになるという回路はなく、すべて頭の中で整理整頓されている。
なので私の娘を育てるにあたって、多(他)言語教育してきたし、今もしている。
生きづらさを感じることだらけだったけど、そこは持って生まれた好奇心旺盛さと、移動(引越し)大好きで、テキトーにかわしている。
生きづらさを感じたなら、生きづらさを感じない場所(環境)に身を置けばいいと私は思っている。
発達障害の有無に関わらず、私は、私が生きたい場所で、生きたいように生きるだけ。